新・少年サッカー上達計画

「少年サッカー上達計画」から約6年を経て、「新少年サッカー上達計画」として復活!!

幼児教育に「ヨコミネ式」的なものがあるけどあれってどうなんだろう?的な話。

幼児教育に「ヨコミネ式」的なものがあるけどあれってどうなんだろう?的な話。

 

こちらも前回の記事の

七田チャイルドアカデミー的な話と同じで、

動画見たりとか、その教育受けた親子を

直接見たりぐらいしかしてません。

 

ただ、動画を見てると面白いなと感じる部分がありまして、

何が面白いなと思うかと言うと、

 

そこに、

 

場の原理

 

みたいなものを活用しているように見えるからです。

七田チャイルドアカデミーは結構、

機械的というか工場で生産している敵な臭いがしたのですが、

 

このヨコミネ式ってのは、

それよりも、

 

場の原理

 

ってのを使って、

子どもたちが育つように

しているように見えました。

 

で、ここで「場の原理」ってのを説明すると、

長くなるのでしませんけど、

 

このヨコミネ式というコンテクストで言えば、

 

"できる"という場の創造

 

だって事ですね。

 

つまり、

 

"できる"と思えば、出来るんだ。

 

って事の教育をしているのかなと。

 

もう少し言ってしまうと、

 

"できる"という場のディズニーランド

 

っていうかなんか言葉が変といえば変ですけど、

そんな感じです。

 

ディズニーランドではキャストみたいな感じですけど、

これはディズニーの世界観を忠実に再現しようという、

スタッフたちがなりきる訳ですけど、

 

ヨコミネ式では、

子どもたちがいかに"できる"と思いこめるかを

誘導しやすいというか、その『場』を作るための

スタッフたちが、そういう場づくりをしている的な。

 

ちなみに、

世の学校教育。がいかにクソなのかっていうと、

そういう"できる"の場づくりなんてしてもいないし、

しようという意識がないからですね。

 

だから、あんなところに行ったら天才たちの

才能が削られていくのは当然だって事です。

 

まあ、市役所にいる公務員と同じなので、

今の時代の教師なんて。

もう「先生」と呼ばせるのやめたらいいのに。

 

で、私はフリースクールをちまちまとやっていますけど、

巷のフリースクールをDisってるのは、

この

 

"できる"の場づくり

 

をしていないからです。

 

あいつら「いかに学校に戻すか」

みたいな事に躍起になっていて、

それはフリーでもなけりゃ、スクールでもない。

 

って思ってます。

 

あのクソみたいな学校が嫌いで、

通う別の学校なんだから、

 

何故、あんなところに戻すための受け口にならなきゃ

いけないんだってここはかなり本気で思っています。

 

教育ってのは、

 

社会であれ、地域であれ、学校であれ、家庭であれ、

 

いかに子ども達に、

 

"できる"の場を想像して提供してあげるか。

 

もうこれ以上も、

これ以下もない。

 

って思ってます。

 

イメージだけで「ヨコミネ式」について話しましたけど、

もしも、"できる"の場づくりを、

あそこがしているのであれば、

素晴らしい教育をしていると思います。

 

別に逆立ちができるとか、

何かが出来るってのが凄い事なのではなくて、

 

"できる"っていう場を作れば、

人間は大概の事ができるんだ。

 

っていう本質的な事を、

親子共々に教えているのであれば、

それは非常に素晴らしい事だし、

 

日本の教育環境が、

それがスタンダードになれば、

どんな時代が来ても、

日本は世界の中でもトップクラスに

君臨し続けることは可能なのかなと。

幼少期の天才教育といえば「七田チャイルドアカデミー」でしょ。的な話。

幼少期の天才教育といえば「七田チャイルドアカデミー」でしょ。的な話。

 

で、まあ幼少期の早期教育っていうと、

私の中でまず思い浮かぶのは、

この「七田チャイルドアカデミー」か、

「ヨコミネ式」?みたいなやつですけど、

 

今回は七田チャイルドアカデミー的な方について。

実際は、私は子どもを

七田チャイルドアカデミー的なところに

通わせたわけではないので、

 

ここが実際どれだけの成果を

挙げているのかは知りません。

インチキかどうかって話になると、

個人的には、インチキではないと思っています。

 

ただし、大事な事って例えば

2歳の時に天才だったとしても、

22歳の時に平凡な感じになっていたら

それって効果はあったといえるの?

 

って事です。

 

もちろん、2歳の時に天才だったのに、

22歳の時には平凡になっていたからと言って、

七田チャイルドアカデミーがインチキだったかどうかってのは、

ちょっと責任を七田チャイルドアカデミーに

おしつけすぎだとは思います。

 

よくある話が、大学生まで優秀でも、

会社はいったら、すぐ凡人化してしまう話なんて、

それこそ腐るほどありますし。

 

って事は、義務教育受けたら、すぐ平凡化。

ってのも予想がつきますよね。

 

で、考えてみたいのが、「ベクトル」なのですが、

この成長というか教育のベクトルには、

 

・天才化

 

 

・平凡化

 

のベクトルがあるっていうか。

 

「社会」ってのはまあ平均化っていうか

均一化っていうのを好みますから、

まあベクトル的には、「平凡化」な訳ですね。

 

では、

 

天才化のベクトルってのは

なんでしょうか?

 

っていうこの問を真剣に考えるのが、

天才づくりには欠かせない事なのだと思っています。

 

私個人の考えとしては、

 

養殖モノか?

 

天然モノか?

 

っていうここにヒントがあると思っていまして、

 

養殖モノのメリットとデメリット

 

天然モノのメリットとデメリット

 

ここについて考えてみると、

 

天才ってどうやって作られるのか。

 

が見えてくるかなと。

 

そういえばこの記事のタイトルは、

 

幼少期の天才教育といえば「七田チャイルドアカデミー」でしょ。的な話。

 

でしたね。

 

まあ、素人でもなんとなくイメージできるのは、

 

右脳教育

 

みたいな事をしてましたよね。七田チャイルドアカデミー。って。

 

それで考えてみると、

 

右脳を鍛えると、天才になるのか?

 

っていう事なのですが、

個人的には、

 

なる。

 

って思ってます。

 

ただ、七田チャイルドアカデミーで右脳を鍛えると、

天才になれるかどうかは半信半疑です。

 

理由は、

 

さきほどの、

 

養殖モノ

 

 

天然モノ

 

の部分にあります。

 

あれって、結局

 

平均的、均一的に

右脳を鍛える教育をしているだけ。

 

つまり、

 

養殖モノの右脳教育

 

って感じがするからです。

 

たとえば、テレビか何かで「フラッシュカード」的なものを

やってる動画を見たことがあるのですが、

 

結局は、教室の中に子どもがいて、

先生がそれをパラパラやってるっていう。

 

学校教育で、やってる事が別な内容だけ。

 

みたいな感じに私には見えました。

 

もっと、天然モノの右脳教育ってのは、

ゴツゴツした岩のような感じだと思うんですけどね。

 

特に、幼少期であればあるほど。

 

私が、原澤チャイルドアカデミーをもしも創るとしたら、

ああいう感じにはしません。

 

っていうか私の説は、

 

子どもが天才にならない一大要因は、

 

親側にある。

 

ってのが一貫した主張なので、

子ども側は好きな事やってりゃいいって思ってます。

 

結局、右脳をいちいち教育しなきゃいけないのは、

親が右脳を鍛える環境を提供できない、

ガチガチの人間だからって事です。

 

好きな事子どもにやらせてれば、

子どもなんだから、右脳なんて勝手に鍛えられると思いませんか?

 

こういう矛盾しているような事も、

気づかず、結局自分たちの都合の良いように

教育もデザインされていくって事です。

 

子どもというバケツに穴をあけてしまっている原因は何か?

 

っていうここを考え、改善しない限り、

 

何を注いだところで、

ただただ外に漏れ出ていくだけです。

 

子どもが天才になったり、

平凡になったりってのは、

 

まさに、

 

親次第

 

だって事です。

夏休みにやってる特別企画・天才のつくり方マスタープログラムについて。

夏休みにやってる特別企画・天才のつくり方マスタープログラムについて。

 

ちょうど、サッカー指導を久しぶりにやるのが

夏休み期間になったので、

ちょっと特別なプログラムを作ってやってみる事にしました。

 

今後は、本当に以前言っていた「球いじり」的な指導を

私がやることはないと思います。

そういうの好きな人、世の中に沢山いると思うし、

私自身興味ないし。

 

それに、これはサッカーだけに限ったことではないのですが、

 

人間の能力ってどうすれば上がるのか?

 

っていう根本的な問題を解決しない限り、

何をやっても大した成果って出ないんじゃないか的な。

 

一番わかりやすいのは、

穴のあいたバケツにいくら水を注いだところで、

水が漏れ続ける。

 

みたいなこんな話です。

 

で、球いじりがどうこうってのは、

要は「水を注ぐ」って部分であって、

 

もしもバケツ側に穴があいていれば、

いくら水を注いだところで、

漏れていくだけなので、

大した成果にはならないっていう。

 

例えば、具体的に久保君だとか中井君みたいないわゆる

「天才サッカー少年」的なサッカー選手がいますけど、

 

巷では、彼らが特別天才で、神に選ばれし的な

存在の様なようにもてはやされていますが、

 

まあ、凄い事は凄いのでしょうけど、

 

彼等だけが特別神に選ばれし存在ってのは、

ただのオカルト話になってるだけですね。

 

難しい数学の問題を解けないのは、

本当は自分の頭が悪いだけなのに、

 

それを自分以外のせいにしているだけってのと同じです。

 

では、どうするとある子ども達は天才になれて、

ある子ども達は平凡な大人になるのか。

 

ここの違いはどこにあるのか?

 

ってのを私は、

ここ数年研究し続けていました。

 

そのあたりの事を、

次回から多少書いてみようと思います。

新・少年サッカー上達計画を何故約6年のブランクを経てはじめるのか?

新・少年サッカー上達計画を何故約6年のブランクを経てはじめるのか?

 

どーも。久しぶりにサッカー関係のブログ書きます、

原澤です。

 

とりあえず、書き出しって何書いていいのか無駄に考えるので、

適当に書きます。

 

一応、この関係のブログ書きますが、

現時点では、それほど少年サッカーだとかサッカーにこだわってないというか、

スポーツという分野にもこだわってないです。

 

要は、天才って何やっても出来る。

 

みたいな原理というか仕組みがあるので、

天才になってしまえば、

 

何やっても有効だ。

 

って事ですね。

 

その「天才になるにはどうしたら良いのか?」

 

って事をやっていきますけど、

 

とりあえずこのブログは、「少年サッカー上達」ってのに

特化したブログにすることにしました。

 

まあ、既存のアリがちな情報は、

他所でやってもらって、

私自身は、どこにも書かれてないような情報を書きます。

 

ここ、5,6年。勉強してきたというか、

研究してきたのは、少年サッカーでもなければ、

サッカーでもないです。

 

もっと根本的な部分の勉強と研究をしてきました。

それによって分かったことがあります。

 

その代わり、ここ最近の

少年サッカー業界、サッカー業界の事はよく分かっていません。

もっとぶっちゃけてしまうと、そんなに興味・関心もありません。

 

だけど、それは少年サッカー・サッカーに関係なく、

人の能力・パフォーマンスを簡単に向上させてしまう事に関しては、

昔以上に興味があります。

 

と、いうことで、

 

おそらく私と皆さんの利害関係が一致する部分は、

 

・能力の向上

 

・パフォーマンスの向上

 

って部分ではないでしょうか。

 

そこについて、私が昔以上にブッ飛んだ

独自の研究結果であり、

問題提起をしていきたいと思いますので、

 

暇だった時、行き詰った時など、

本を買おうが、DVDを買おうが、

ネットで調べようが、

指導者に相談しようが、

 

何しても解決しない時は、

最後の最後の駆け込み寺的な意味合いで、

このブログに来てもらえればと思います。

 

もちろん、何を調べる前に、

誰に相談する前に、

 

1発目でこのブログに

来ていただいても構いません。

 

それでは、

マイペースに、

こちらのブログ

「新・少年サッカー上達計画」をはじめていきますので、

よろしくお願いしますー。

 

一応、必要な情報を全部書いたら、

放置しておこうかなと思っています。

 

何か悩んだら、

ここに来れば、

全部分かるようなブログにしておこうかなと。

 

でわ、そんな感じで開始します!